母の生き方

お姉さんが、自転車で高校に来る

ことなど、今までに無かった、

 

姉は私を見つけると、軽く手を振り

校内に入って来た。

顧問に、話して姉の元に行くと

 

「お母さんが、事故にあって、

 病院に運ばれた。今、手術中。」

「どうする?帰れる。」

頷いて、顧問のところに行く私に、

「ここで、待ってるから。」

と言って、自転車置き場に行った。

 

制服に着替えて、姉と一緒に家に

帰ると、妹が待ってた。

母は、今朝早く、田んぼに水を

入れるために、自転車で出掛けて

いなかった。

 

早朝の国道で、若者の暴走車に

轢かれて、意識がなかった所に

近所に住む、男性が気づいてくれて

応急処置をしてくれたらしい。

 

気づかれなければ、出血多量で

危なかった。

戦争経験者の方で、傷口に石を

詰め、止血してくれた。

救急車を呼んでくれた。

 

病院に行った私たちに、父は

説明してくれたが、母は救急

病棟で、麻酔で寝ていた。

 

姉と祖母と父が、ほとんど

付き添いで病院に行くので、

家事を私と妹が請け負った。

 

一月半を過ぎた頃、母は退院

できたが、左足は膝から下は

義足になっていた。

それでも母は、田んぼの仕事を

こなそうとした。

 

稗を抜くために、田んぼの中に

入っていったり、田んぼの端を

鎌で刈ったりして、休暇を取って

帰ってきた兄が、動きやすくなる

ように、動いていた。

 

農閑期に入って、母はリハビリだ

と言って、新聞配達を始めた。

 

今更ながら、母の偉大さを感じる。

そんな母も、事故に遭った後、

自分はこれから、何も出来なくなる

と思って、死も考えたが、父の説得で、

前向きになったと話してくれた。、

 

傷口が擦れたり、膿んだりしたことも

あったはずなのに、どんなときでも

やってみようとする母を尊敬する。

 

そんななか、祖父の様子が変だ

と感じることが起こった。